こんばんは。片桐です。
最近、空いた時間に、何周目かの加藤はいねさんのブログを読んでて思いついたんですが、
※気になる方は、検索してご覧ください!
私も「見てないドラマ(映画)を勘でレビューする」をしたいと思います。
と、考えていた時に、思いがけないニュースが。
これは見なければなりません。
ということで、今年初めてテレビを付け、今日見てみました。
その前に。
なぜ、このような事態が起こってしまったのか。
心理学の学会(他の分野の学会もあるかもしれませんが)の特性があります。
人とのコミュニケーションも扱うはずの心理学の学会のいくつかは、
同じ学派の団体であっても、対立し、いがみ合っているように見えます。
批評し合い、切磋琢磨するのではなく、ただ単に「つぶし合い」です。
傍から見ている我々からすれば、面白い部分もあるのですが。
ようやく国家資格化が実現したあの団体も、
多くの精神疾患に有効だと言われているあの心理療法の団体間でも、
対立し、進んでいた話が立ち消えになり、
援助を必要としている方々を置き去りにしている感があります。
「なんか、うまいこと話し合って解決すればいいのに」と思ってしまうのですが、
いかんともしがたい理由があるのでしょう。
「そんなこともあったんだな~」ということをうっすら頭に残しながら、お読みください。
さて。
アドラーは、フロイト、ユングと並んで、世界で最も有名な心理学者の一人です。
しかし、日本で最近まであまり有名でなかったのはなぜか。
それは、他の心理療法に取り入れられたり、今では当たり前になっているものを作ったりと、
彼独自の考えが浸透しすぎてしまっている部分もあるでしょう。
心理療法で、彼の考えに影響を受けた人として、
・論理療法のアルバート・エリス
・交流分析のエリック・バーン
・ゲシュタルト療法のフレデリック・パールズ
などが挙げられます。
現在、依存症回復の一助となっている「自助グループ」や、
「児童相談所」なども、アドラーが基礎を作ったと言われています。
自己啓発の源流も、アドラーまでさかのぼることができます。
現在の心理学界や我々の生活に、欠かすことのできない存在なのです。
さて、今回のドラマへの批判として出てきているのは、
「共同体感覚」の側面です。
共同体感覚を今回の要望書をそのまま抜き出して書くとすれば、
「勇気とは共同体感覚の一つの側面である(アドラー)」
「共同体感覚は、人々が相互に理解し合い、一致に到達し、意見や信念を分かち合うことを可能にするものである(ヘレーネ・パパーネク)」
とあります。
今日のドラマの中で言えば、「相手を無条件に信頼しする。」ということ。
相手の利益のために行動する、ということです。
「嫌われる勇気」というのは、「積極的に嫌われようぜ!」というのではなく、
「嫌われることを恐れずに、勇気をもって(自分や共同体のために)行動しようぜ!」ということだと思います。
※ここで「思います」と使ったのは、読んでいないからです。他のアドラーの著作は読んでいるので、ご安心ください。
今回のドラマを見ると、(今日しか見ていませんが)確かに主人公は嫌われることを恐れない感じではありますが、
チームのために行動していないようにも見えます。
一方、今回の要望書についてはどうでしょうか。
内容は、しっかりと権威の言葉を引用し、正しいことを述べていますが、
要望書を直接製作者に出すのではなく、公に出す形で抗議することは、
「意見や信念を分かち合い、一致に向かって理解し合うよう努力する」という行動でしょうか。
(私も、直接ではなく、ネットに上げている時点で同じことをしていますが)
ここで、もう一つ重要になるアドラーの考え方は「目的論」です。
この考え方は、
「行動や感情は、『原因』から生まれるというよりは、『何を達成したいのか』という『目的』によって生まれる」
という考え方です。
簡単に言えば、
子供が泣いているときに、「転んだから」とか「いじめられた」などの原因を考えるのではなく、
泣くことによって「どうしたいと思っているのか」を考えるということです。
「慰めてもらいたい」とか「いじめられた相手に嫌な気持ちをさせたい」という思いがあるから、
「泣く」という行為をすると考えるのです。
この「目的論」の立場をとってみると、
コミュニケーション不和の解決法が見えてきます。
自分が納得のいかない意見を言われたとき、
カチンときて無視したり、怒りに任せて声を荒げたりするのは、
「自分が怒っていることをわかってほしい」という感情の表明かもしれません。
怒っていることを伝えて、反省したり撤回するような相手であれば、これらの行動は「成功」ですが、
ほとんどの場合、相手は自分の気持ちを理解してくれるよりは、
「あなたのことを思って言っているのに、生意気」などと、
怒りを増幅させてしまうかもしれません。
今回のテレビドラマの場合も、ぶっきらぼうな態度で周りと接することは、
「共同体」の他者の利益にならないですし、
同僚や監察医の方に協力を仰ぐという目的を達成できていないような気がします。
一方、「要望書を公に公開する」という行為は、目的を果たせているでしょうか。
制作者は「ああ、そうなんですね。じゃあ止めます」となる可能性もありますが、
たいていは、一生懸命作っているドラマを批判され、怒りを感じ、意固地になることでしょう。
公開せずに直接製作者に言ったり、
自社のホームページ内で「ここはいいけど、あそこは当団体とは違う考えだな」とかを言ったり、
別の方法があったのではないかと思います。
アドラーは、「幸せになる3つの条件」をあげています。
①自分を好きである
②良い人間関係を持っている
③人や社会に貢献している
また、こんなことも言っています。
「他人のことに関心を持たない人間は、苦難の道を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかけることになる。人間のあらゆる失敗は、そういう人たちの間から生まれるものです。」
「人間のすべての特徴の中で、最も優れ、かつ尊いものは、マイナスをプラスに変える力である」
そう、マイナスからプラスへ。
せっかくアドラー心理学に注目が集まっているわけですし、
自分のこと(自分の団体)だけではなく、相手のこと、視聴者のことを考え、
みんなで心理学業界を盛り上げていきましょうよ。
と偉そうに言ってみました。
来週のドラマのテーマは、今回話題に上がった「共同体感覚」について。
楽しく見ようと思います。
ここで、はたと気づく。
要望書を書いた団体は、批判したり中止を求めたりしたかったのではなく、
話題にして視聴者を増やすことが「目的」だったのかもしれない。
それならば、今回の要望書、合点がいきます。
私のように気になってドラマを見てみる人も出てくるでしょうし、目的が成功しています。
そうであれば、私よりも何枚もうわてです。
いずれにしろ、様々な考え方を知るいい機会です。
お時間があれば、ぜひ見てみてください!
ということで、今日もお読みいただきありがとうございました!