THE ONENESS PLACE

なぜ神話を学ぶのか①

2017年2月27日 コメントする

我々は、もはや独力で冒険に挑む必要はない。古今の英雄が道を開いてくれている。迷宮は知り尽くされている。我々はただ、英雄の跡をたどればいい。そうすれば、恐るべき怪物に会うはずの所で、神に出会う。人を殺すはずの所で、おのれの自我を殺す。外界へ旅するはずの所で、自分の内面にたどり着く。そして、孤独になるはずのところで、全世界と一体になる。

-ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」より

 

神話には、我々人類の、またはその国独自の内面が表れていると言われています。

英雄は、なんだかんだあっても、怪物を倒しますし、

「見るな」と言われれば、それはどの神話でも例外なく「見て失敗する」前触れです。

 

例えば、次の神話や昔話の途中まで読んで、どんな結末が「しっくりくる」でしょうか。

①「鶴の恩返し」

ある日、翁が鶴を助ける。後日、女性が現れ、「雪がひどいので泊めてほしい」と言ってくる。その女性は「布を織りたいので隣の部屋は覗かないでください」と告げられる。たいそう奇麗な布で、どのように織っているのか気になってしまい、翁は隣の部屋を覗いてしまう・・・

1)覗いた翁が女性から殺される

2)女性が頑張って布を織っているだけだった

3)助けた鶴が布を織っていたが、「バレちゃいました?そういうことなんすよ。」と言って布を織り続ける

 

②「桃太郎」

サル、トリ、イヌを連れて、鬼退治に行く桃太郎。鬼ヶ島に着くと・・・

1)サル、トリ、イヌの裏切りにあう。お互いの駆け引き、だまし合いの末、何とか鬼を倒す

2)鬼を一匹残らず殺す

3)トリ、イヌが死に、桃太郎も死に、かろうじて犬が鬼を退治する

 

③「浦島太郎」

助けた亀が竜宮城に連れて行ってくれ、歓待を受ける。帰るときに「玉手箱」を渡されるが、「開けてはいけない」と言われる

1)開けてみたら財宝が入っていて、金持ちになりましたとさ

2)開けてみたら、亀が現れ、殺される

3)開けない

 

上記の3つのお話の結末は、今さらお伝えすることもないと思いますが、

これらのお話の中には、人類共通の心理や、日本人の特徴が垣間見えます。

 

まず、「鶴の恩返し」については、日本に昔から伝わる民話ですが、

「見るなの禁止」を犯した翁ではなく、鶴が不幸になって出ていく。

それを見た翁が「なんてことをしてしまったんだ」と、自分のせいで不幸になった相手を見て後悔する。

ここら辺が日本の民話の特徴です。

 

「桃太郎」は、一見どの神話にも共通する「英雄譚」ですが、

陰陽五行説の影響を受けつつ語り継がれてきました。

鬼を「殺す」のではなく「懲らしめる」というのが「日本らしさ」です。

西洋の神話では、ドラゴンを殺すのが結末ですが、

「懲らしめる」ところは日本の特徴と言えます。

(スサノオノミコトはヤマタノオロチを殺していますが)

 

最後の「浦島太郎」は、古くは「古事記」の中の「山幸彦・海幸彦」が原型と言われていますが、

やはり「見るなの禁止」を犯しています。

「古事記」の話では、主人公の「ホオリノミコト(山幸彦)」が美しい「トヨタマヒメ」と結婚しますが、

「トヨタマヒメ」が子供を産むときに、「覗いてはいけない」と言われたにも関わらず、

覗いたらサメだった。

覗かれたサメ(トヨタマヒメ)は、「ホオリノミコト」を恨みながら、子どもを残して海に帰っていった。

養育のため代わりに遣わされた「タマヨリヒメ」を使って、

「トヨタマヒメ」と「ホオリノミコト」は愛の歌を交わした。

みたいな内容です。

ちなみに生まれた子ども(ウガヤフキアエズ)は、神武天皇の父にあたります。

これも、恨みながらもそれで終わりではない人間の本質を捉えています。

 

人間は、受け取った情報から、自動的に「ストーリー」を作り、感情を感じ取ります。

これが不健全な場合、抑うつや怒りが起こってきます。

この「しっくりくるストーリー」は、

幼いころに聞いた話や、人間がもともと持っている性質も元になります。

子どもは「いつもの絵本」を聞きたがりますし、大人も新しい話よりも「お馴染みの話」の方が無難に喜ばれます。(⇒友達を喜ばせるには、すでに知っている話を話すといい〔英語〕)

そのため、神話や昔話を学ぶことは、我々人間やその国の国民性を知るのに役立つのです。

(神話や昔話から見る日本人の国民性については、次回書こうと思います)

※ちなみに関係ない話ですが、子どもがいつも同じ「悪夢」を見ている場合、その話を語ってもらい、一緒にハッピーエンドの話に作り直すことが効果的だと言われています。

 

日本人はよく、「無宗教」だと言われていますが、

一方、ジョーゼフ・キャンベルはこんなことを言っています。

古代の雄大な神話が今なお社会に息づいているのは日本だけである。なにしろ、天皇はアマテラスの直系の子孫であり、かつ、皇室の祖先であるアマテラスは、日本の伝統的な神道の神々の中で、最高神の一柱として崇められているからだ。 -ジョーゼフ・キャンベル「千の顔を持つ英雄」より

利用できる神話は身近にあり、知らずに信じているにも関わらず、それに「頼れないでいる」状態かもしれません。

 

しかし、ただ「神話を学ぶ」だけでいいのでしょうか。

 

19世紀後半、ドイツの哲学者のニーチェは「神は死んだ」と言いました。

たしかに同じ時期、日本でも明治政府によって、「神仏分離令」による廃仏毀釈運動がおこり、

長年の中で培ってきた日本人の宗教観が、短い期間で変更を余儀なくされ、

新しい解釈が作られないままでいるような気がします。

ゆえに、太平洋戦争中、日本人は安易に政府(軍部)が推奨する宗教観を信じてしまいましたし、

それを取り払われたときの戦後の日本人の空虚感は、今なおこの社会を支配している感じがします。

インフラが整備されることで、自国と世界との境目が薄くなる反面、

その反動で、民族主義的な動きも起こっています。

人とのつながりも希薄になってきています。

 

心理学者の河合隼雄は、こんなことを言っています。

「神話の知」の喪失は、現代における「関係性喪失の病」として顕われている。(中略)近代科学と結びついたテクノロジーの急激な発展とともに、人間は何か「よい方法」を知ることにより、ものごとを自分の望むままに「操作」できると思いすぎたのではなかろうか。(中略)このようなことが生じる背景には、親と子の生きる神話の喪失、ということがある。日本の家庭というものは、今どのような神話に支えられているのだろうか。昔の「イエ」の神話はほとんど崩壊している。と言って、新しい神話はまだないのではないか。

―河合隼雄「神話と日本人の心」

 

また、同じ本の中でジョーゼフ・キャンベルの次の言葉も引用しています。

これから長い長いあいだ、私たちは神話を持つことができません。物事は神話化されるにはあまりにも早く変化しすぎているので。各個人が自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく必要があります。

-ジョーゼフ・キャンベル「神話と日本人の心(河合隼雄)」より

 

河合隼雄は、神話を学び、それを各個人が自分に合うように解釈し、自分にふさわしい「個人神話」を見出さなければならない、と言っているのです。

 

今、新しい「神話の知」が必要とされています。

世界の神話の構造を知り、今の日本を解釈しなおし、それを伝える「語り部」が必要です。

 

そんな、現代の稗田阿礼を生み出すイベントが7月に開催されます。

ヒーローズジャーニーカンファレンス JAPAN

 

神話学者から神話の構造を学び、心理学者から自らへの生かし方を学び、

世界で活躍する英雄から、その生き方を学ぶ。

 

ここで学ぶ「神話の知」は、今の日本が陥っている「関係性喪失の病」を解決し、

一人ひとりの神話を作り出すきっかけになります。

一人ひとりの健全な「神話の知」が生まれ、日本が大きく動き出す「種」になるものだと思っています。

 

皆さんも、「ヒーローズジャーニーカンファレンス JAPAN」に参加し、

日本の大きな転換点の目撃者、いや担い手になってみませんか?

 

と、とてつもなく大きなことを言ってしまいましたが。

後悔のない内容になっております。

皆さんのご参加をお待ちしています!

 

ヒーローズジャーニーカンファレンス JAPAN

日時:7月15日(土)10:10~18:00

場所:かつしかシンフォニーヒルズ

お問い合わせ:0120-200-069

メールでのお問い合わせは⇒コチラ

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